普段、夫婦間の会話はほぼ全て中国語を使っています。
台湾人の妻がまだ日本語をうまく話せず、中国語の方が早いので、会話練習のために時々日本語で話す以外は、全て中国語です。
僕の中国語はネイティブと同じとまではいきませんが、自分の話したいことは不自由なく話すことができます。
本ブログ初投稿のこの文章では、僕がこれまで中国語とどのように関わってきたかについてまずご紹介します。
最初のきっかけは「大地の子」
そもそも僕が中国に興味を持ったのは、NHKで昔放送されていたドラマ「大地の子」を見たことがきっかけです。
当時僕は小学生で、初回放送を両親と一緒に見ていました。
「大地の子」は中国残留孤児が主人公の物語で、戦争や文革など、子どもが見るには難しい内容が多いです。
当時の僕も難しい話は全然分からないのに、なぜか引き込まれた記憶があります。
その時の印象を振り返ってみると、たぶん「よくわからないけど日本の近くに中国という国があって、そこには優しい人もいるんだな」「中国語って音感が綺麗な言葉なんだな」という感じだったと思います。
高校時代
僕が高校生だった2005年、中国で反日デモが活発になりました。
ニュース番組でよく見たのは北京・上海・成都だったように覚えています。
「中国に進出した日本企業の建物が襲撃を受けた」とか、「デモ隊の側に公安がいるので、実は当局に統制されたデモだ」等々、連日報道されていました。
この時に僕が気になったのは、「なぜ反日デモが活発になっているのか」という問いに対して、「中国政府は天安門事件の後、国民の目をそらすために反日教育を強化した。それによって反日思想を持つ中国人が増えている」という論調がメインだったことです。
報道の趣旨が実際にどうだったかは別として、少なくとも僕には「中国人は国民全体が反日的になっている」と言っているように聞こえました。
これは、小さい頃に「大地の子」を見て「中国には優しい人もいる」と信じていた僕にとって、なかなか信じられないというか、とても短絡的な理由づけに思えました。
これに加え、当時のクラスメートでアメリカ留学をした友人がいて、留学でどれだけ貴重な体験ができたかをよく話してくれていました。
彼の話を聞いているうちに、「大学に入ったら中国へ留学をして、実際の中国人が日本についてどう考えているのかを理解できたらいいなぁ」とぼんやり考えるようになりました。
大学時代
第二外国語で中国語学習をスタート
大学では1年の時だけ第二外国語が必修で、迷わず中国語を選びました。
他にも韓国語・ロシア語・フランス語等がありましたが、中国語の履修者が一番多かったです。
たぶん「漢字だし、文法とかも中国語が一番簡単らしい」という噂があった(第二外国語で勉強する分には確かにそうなんだろうと思います)からでしょう。
高校で「中国に留学できたらなぁ」と思ってはいましたが、この時はまだそんなに真面目に勉強していたわけではありません。
成績も中の上くらいでした。
短期留学
転機になったのは、大学1年が終わった春休みに、中国へ1ヶ月弱の短期留学に行ったことです。
僕にとってはこれが初海外でした。
短期留学中には北京や上海などいくつか主要都市に行きましたが、最初に大連のホテルの部屋に入って一息ついた時、窓からの景色を見て「ついに『大地の子』の舞台になった中国に来たぞ」と、とても感慨深かったのを覚えています。
平日は中国の某大学の言語センターで中国語の授業を相当熱心に受けていた他、期間が1ヶ月弱と短かったので「見れるものは何でも見てやろう」という気持ちで、何でも貪欲に体験しに行っていました。
あの頃は若かった…。
そして帰国する時には、大学在籍中に必ず長期留学をしたいと強く思うようになりました。
短期留学から帰国後
短期留学に行ったことで、帰国後の中国語に対する態度が変わりました。
大学2年以降は第二外国語を履修する必要はなかったんですが、週3くらいで中国語の授業を選択し始めました。
それ以外にも、
- 自分の単語帳を作り、通学時の地下鉄、空きコマなどのスキマ時間に毎日チェック
- 中国語のPodcastの番組を複数購読、毎日繰り返し聴く
- 会話のテキストを買って、付属のCDを寝る前に毎日聴く
- 当時月刊誌だった「中国語ジャーナル」(アルク)を毎月買う
- 大学の中国人留学生と言語交換をする
- 夏休みにドリル付きの文法書を丸々一冊勉強する
などなど、毎日朝から晩まで暇があれば中国語、という日々を送っていました。
今考えればかなり努力していたなぁと思いますが、当時はまるで好きなゲームをずっと遊んでいるような感覚で、勉強しているという感じは全くしていませんでした。
だからこそ、誰に言われるでもなく自分で色々やっていたのだと思います。
長期留学の意思も、より固まっていきました。
中国へ留学
大学3年の秋から1年間、中国へ語学留学(交換留学)をしました。
当然ながら講義も全て中国語なので、この1年間は本当に中国語漬けでした。
現地で生活していると、日常的に触れる単語・フレーズの量が日本とは格段に違い、中国語のシャワーを浴びているようでした。
テキストで分からないところは一つ残らず徹底的に先生に質問をしていました。
先生にとってみれば結構やっかいな生徒だったかも…汗
帰国後
中国留学という目標を一つ達成して、若干燃え尽きていた時期です。
中国語検定やHSKでそれなりの級を取ったし、ネイティブと普通に会話することはできるけど、それ以上の進歩を感じられない。
語学という枠を越えて、何らかの専門分野で中国語を使えば良くなりそうと思いながらも、特に深掘りしたい分野は思いつかない…。
そんな時期でした。
ただ、この頃にはそれまでのような「教材などを100%細かいところまで徹底的に理解するまでとことんやる」という完璧主義的な勉強方法をサボる(良い意味で)ようになりました。
「そんなにムキになって勉強してもしょうがない」という諦めがついたことで、特にリスニング力が向上した実感がありました。
適度に力を抜くことが良い結果につながることを実感した時でした。
社会人になってから
通訳養成学校に通学
社会人になって自分の収入もできたことで、かねてから通いたかった通訳養成学校へ通い始めました。
1学期(約半年)の学費が15万円くらいするんですが汗、自分への投資と思って通うことにしました。
勉強したのは逐次通訳と同時通訳。
先生は現役のプロの通訳者さんで、実際の経験に基づいた実践的な授業を受けることができました。
クラスメートは日本人の他に中国人・台湾人もいましたが、皆さんレベルが高くて学ぶことが多かったですし、先生が「あ、その訳良いですね!」と言うことも。
週1で足掛け2年間(4学期)通いました。
毎週の宿題が多くて大変だったけど、集中的に勉強したことで、自分の中国語が更にグレードアップした気がします。
それまでコツコツ積み上げてきた基礎がようやく花開いたというか。
台湾留学
社会人になって数年、職場の都合で台湾に2年間留学することになりました。
僕はそれまで中国の中国語をひたすら勉強していたので、最初は台湾の中国語の語彙・発音・言い回しがとても変に感じました。
でも、慣れないなぁと思いながらも過ごしているうちに、自分の話す中国語も少しずつ台湾式に変わっていき、最後には台湾人だと勘違いされるように…。
今では元々の中国の中国語を話そうとしても、なんだか力が入ってしまうというか、違和感を感じるようになっています。
そして、この台湾留学と中国留学が決定的に違ったのは、中国留学のように何もかもお膳立てされた状態ではなかったこと。
部屋は自分で契約しなきゃいけないし、勉強も自分で進めていかないといけない。
でもそういう環境だったからこそ、より現地の生活を肌で感じられたと思います。
現地の人とのつながりも、中国で主に留学生宿舎周辺で過ごしていた時とは比べ物にならないくらい多かったです。
そういう意味で、生活経験という面から言うと、中国よりも台湾の方が圧倒的に濃かった。
中国語について言えば、中国人よりも台湾人との会話の方が楽というか、慣れています。
むしろ、中国人が普段どういうふうに会話をするものだったか、その雰囲気をちょっと忘れてしまっています。
おわりに
長くなりましたが、以上が僕と中国語との関わりです。
大学で中国語の勉強を始めて最初の4〜5年と、通訳養成学校に通っていた時期以外は、特別ガリガリ勉強していたわけではないです。
今はもちろん単語帳なんて作っていないし、何かテキストを見ているわけでもない。
成語や歇後語、諺語なんかは印象深いもの・よく聞くものだけ覚えていて、他は忘れてしまいました。
覚えたはずの単語が出てこなかったり、成語を言われて「聞いたことあるなー」と思いつつ意味を聞き返したりはしょっちゅうです。
でも、何だかんだでもう15年近く中国語に触れ続けています。
この記事を書いていて、僕と中国語との関わりは、僕の人生と常にリンクしているなぁとつくづく思いました。
アイデンティティの一部になっていると言っても過言ではありません。
あれこれ忘れて学習者としては完璧ではないかもしれません。
でも台湾人の妻と普通にコミュニケーションを取ることはできるし、例えば「今日たまたまこういうニュースを見て自分はこう思ったんだけど、どう思う?」とか、家計の管理とか、複雑な話をするのも別に問題ありません。
そんなのでいいんだと思います。
一度覚えたものを全部ずっと覚えていなきゃいけないなんて、そんなの疲れるだけです。
聞き返してもいいから、最後には相手が何を言っているか分かる。
自分の伝えたいことを、過不足なく相手に伝えることができる。
それでいいです。
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