適応障害になって思ったこと

メンタルヘルス

僕は去年2021年3月上旬から、メンタル不調で仕事を休んでいました。

病院での診断名は「抑うつ状態」「適応障害」「パニック障害」です。
僕はこれらのメンタル不調が特に珍しいものではないと以前から知っていましたし、少なくともテレビで紹介されるような一般的なことは知っていました。

でも自分が実際になってみて色々思うことがあったので、前に書いたことと重複する部分もあるかと思いますが、改めて書き残しておこうと思います。

なお、同じ診断名でも人によって程度の差があったり、置かれている状況が違ったり、育った環境が違ったり…等々ある中、この記事はあくまで僕の主観で書いているものです。
メンタル不調を抱える人間が実際に感じたことの一例として読んでいただければ幸いです
生きづらさを感じている方にとっては、共感してもらえる部分も多少あるかと思います。

また、家族・友人・同僚などがメンタル不調を抱えていて「どこに地雷があるのか分からないので、どう接していいのか分からない」という方もいるのではないでしょうか。
そういった方々が本人の気持ちに寄り添うためのヒントとしても、この記事が参考になれば嬉しく思います。

「うつは心が弱いから」ではない

僕の世代(現在30代前半)は、恐らくうつに対する世間の認知が進んできた前後に成人した・もしくは社会人になった世代だと言えるのではないでしょうか。
映画「ツレがうつになりまして。」も、今調べたら2011年公開だったんですね。
僕は就活中くらいの時に、割とリアルタイムでこの映画を見た記憶があります。
当時はテレビでもうつについての番組がちょくちょくあったので、何となく見たりはしていました。

身近なところでは大学1,2年の時、高校時代の同級生A(女性)が大学生活中にうつになり、休学して実家で過ごしていた、と友達から聞いたのが1つ。
もう1つは、高校時代の別の同級生B(男性)が、社会人2年目くらいでパニック障害になり休職したというのがありました。

2人ともすごく近しい友人というわけではなかったので直接連絡したりはしませんでしたが、この2人がメンタル不調に陥ったと聞き、当時は驚きました。
なぜなら2人とも、高校時代とてもバイタリティに溢れており、いつも明確な夢に向かって邁進していて、当時の僕にはキラキラ輝いているように見えていたからです。

Aは芯のしっかりとした人で、周りと考え方が違おうが、自分の信じる道を突き進むタイプ。
Bは生徒会活動をやっていて先生からの受けも良い一方、マジメ一辺倒ではなく同級生からも慕われていました。
そして2人とも成績が良く、偏差値高めの大学に現役で合格していました。
(僕は1浪したので余計輝いて見えたというのもあります汗)
彼らは将来の進路も考えつつ、大学でやりたいことを明確に設定して進学先を決めるようなタイプでした。

このように、彼らがメンタルに不調を来したのは、巷で聞かれるような「心が弱いから」ではありません
むしろ意志が強い人たちだと思います

しかし「うつになるのは心が弱いから」という認識は、今でも多くの人が持っているのだろうと思います。
実際僕も仕事を休む前、先輩から「君は心が弱いからね」という意味のことを(このセリフどおりではないですが)言われました。
これを言われたのは僕を慰める文脈の中だったんですが、言われた側は
「心が弱くてすぐ傷ついてしまう自分が悪いんだ。もっと強くならなきゃダメなんだ」
自己否定を強めた上で、更に自分に鞭を打つ方向に進んでしまう可能性があります

そもそも周りに相談をしている時点で、本人はそれより前から自分で何とかしようともがいているわけです。
ネット上の自分と同じような悩み相談とか、どんな心の持ちようでいればストレスに対抗できるかとか、色々見た上で、それでもどうにもならなくなったから、勇気を振り絞って相談しているんですよね。

でも相談される側、特にメンタル不調の経験のない人は、そんなこと想像もつかないのだと思います。
だから、ガス欠になり頑張りがきかなくなった状態を見て「心が弱い」と感じてしまうのでしょう。

「皆んな同じ」ではない

中学校の頃だったと思いますが、ある日の保健の時間に「身体の適応能力」について習ったのを覚えています。
大まかにこんな内容でした。

「秋になって気温が下がり始める頃、道行く人は色んな格好をしている。着込んで寒そうにしている人もいれば、半袖で平気そうにしている人も。これは、寒さに対する適応能力が違うからだ」

気温変化も人間にとっては一種のストレスです。
つまりこの例は「同じ出来事に対して感じるストレスの強さは人によって違う」ということを説明していると言えます。

「何を困難だと感じるか」も人それぞれ違います
以前台湾人男性の運転するタクシーに乗った時、彼は「18歳の時から数か国でドライバーとして生計を立ててきた」と話していました。
英語が達者なわけでもないそうで、僕が彼に会ったのは日本でしたが、日本語もほんのカタコト。
それでも家族を養うだけの収入は十分に稼げている。

僕はこの話を聞いて、なんて度胸がある人なんだろうと驚きました。
18歳の自分なら、同じことをやれと言われても絶対にそんな勇気は無かったと思います。
でも彼は、それをとても簡単なことだったように話すのです。

このエピソード通して思ったのは、「難しい」と思うことは人それぞれだということ。
だから、僕が過去に苦もなくやったことに対して、逆に彼が「よくそんなことできたな」と思うこともあるはずです。

人生の様々な出来事も、もっと言えばメンタル不調に陥るきっかけも、同じなんじゃないでしょうか。
僕の場合は慣れない業務と上司からの叱責がきっかけでメンタル不調に陥りましたが、職場関係の複数人から
「誰でもストレスはある。皆んな気持ちに折り合いをつけてなんとかやっている。だから君もそんなことで挫けるな」
という意味のことを言われました。

僕は自己否定感が強かったので、こういう言葉を掛けられて
「そうか、皆んなと同じようにできない自分が悪いんだ」
と自己否定を強め、もっと苦しい気持ちになりました。

今思えば、本人がどれほど強いストレスを感じているのか知らないのに、自分の感覚で推し測られても困ります…と言いたくなります。

苦しみは峠を越してから話せるようになる

本当に苦しんでいる真っ最中は、なかなかその苦しみを人には話せないものです。
苦しみの原因は自分にあるんじゃないかと思っていたりするので、話す気になれないんですよね。
だから、苦しんでいる人が相談できる窓口を設ける以外に、周りが気づいてあげるというのはすごく大切だと思います。

僕が休職したのは今回が初めてですが、これまでも勤めている中でメンタルが下がって辛かった時期がありました。

朝職場に着いて挨拶した後は、一日中なるべく人と話したくない。
会話をするのが億劫で、ただひたすら黙々と自分の仕事をしていたい。
話しかけられる機会を減らすためにも、自分の仕事はツッコミどころが無いようキッチリ済ませる。
弱いところを見せたら社会人としてダメだと思ってしまう。

そんな感じでした。
よく「心に壁を作る」と言いますが、まさにそれです。

心の安全地帯を確保するために、とりあえず全部シャットアウトするという感じだったのかもしれません。
こういう時期があったことを周りの同僚に打ち明けられるようになったのは、それから半年後くらいのことでした。

僕は2年間台湾に行っていましたが、僕の次に台湾に行った後輩から、メールで相談を受けることがありました。
彼女については別の先輩から「メンタルが強いから台湾でも大丈夫だろう」という評判を聞いたことがあり、そうなのかなぁと思っていました。

でもメールに書いてあったのは、やっぱり苦労しているという内容。
しかも、最初の半年が特に辛かったという過去形でした。

一人で悩んでいたのかと思うと、なんだか当時の自分を見ているような気になりました。
一番辛い時が過ぎてから、やっと他の人に話せるようになるんですよね。
弱いところを見せたくないという性格じゃなくても、一番苦しんでるその瞬間は目の前のことで精一杯になるんだと思います。

服薬だけでなく、根本的原因に向き合うことが不可欠

僕は休職して最初の半年余り、抗うつ薬を飲まずに適応障害を克服できないか模索していました。
これは、適応障害になったのは単に「セロトニンの不足」といった科学的・物理的なものではなく、何か根本的な原因があるからだと考えていたからです。

「うつは心の風邪だ」と喩えられることが多いですが、僕は「心の疲労骨折だ」と言った方がより分かりやすいと思っています。
この喩えを使うと

「気分が落ち込むのはセロトニンが不足しているからです。抗うつ薬を出しますね」

という言葉は

「痛いのは骨が折れているからです。鎮痛剤を出しますね」

と同じように聞こえます。

「骨が折れているから」は単に状態を説明しているだけで、重要なのはなぜ折れたのかですよね。
鎮痛剤は一時的に痛みを和らげることはできますが、疲労骨折そのものを治すことはできません。
同じように、「セロトニンが不足しているから」は単に気分が落ち込んでいる時の脳の状態を説明しているだけで、考えるべきはなぜセロトニンが不足したのかです
抗うつ薬は一時的に辛さを和らげるだけで、セロトニンが不足した原因を解決してはくれません。

根本的な原因は、価値観や幼少期の経験、親子関係にあるのかもしれない。
それが職場の人間関係や家庭内の問題で刺激され、メンタル不調として現れたのかもしれない。
これを解き明かすのには時間がかかります。

でもこれに取り組まないと、それこそ常に爆弾を抱えたような状態で生き続けることになります
「うつは一度罹ったら完全には治らない」とか「薬を一生飲み続けらければならない」というのは、セロトニンの不足を引き起こした原因に向き合わず、対症療法しか行っていないからだと思います。
むしろ「うつは治らないものだ」という認識が広まるほど、患者本人もより深く考えるチャンスを失くしてしまう。
そして薬で誤魔化しながら、我慢しながら生きざるを得なくなる。

僕の場合、抗うつ薬を飲まずに根本的な原因の方を突き詰めて考えていった結果、

  • 男性の強い態度に対する耐性が低い(強い態度の女性からはそれほどダメージを受けない)
  • その耐性の低さは
    ①小さい頃から父親と心を通わせる経験が無く、(自分も男性だけど)男性が何を考えているから分からない
    ②小学校で男子同級生から下に見られていた
    ③小学校高学年の男性担任に理不尽な扱いをされた
    に起因する

ということに気づきました。
ここに行き着くまでに半年以上かかりました。
(①についてはまだ深く掘り下げる余地があると感じています)

妻つながりで知り合った台湾人の友人で、かつてメンタル不調に苦しんでいた人がいます。
彼は根本的な原因を探し当てるまでに5年以上かかったそうです。
そしてそこからまた3年経ち、今では落ち込むことがあっても、薬を飲まずに心を回復できるようになったと話していました。

探し当てるまでが一苦労。
それを乗り越えるのもまた時間がかかります。
僕はまだ第一段階です。

でもここに行き着いたからこそ、自分をもう一度立ち上がらせるための補助として、抗うつ薬を飲もうと考えられるようになれました。
復職後、職場でパニック発作を連発したくはないですからね。
薬に日常生活を助けてもらいながら、探し当てた問題に時間をかけて向き合って行こうと思っています。

回復に向けて動けるようになるまで時間がかかる

僕は休職してから最初の半年余り、服薬治療をメインとするクリニックには通っていませんでした。
これは、上に書いたように根本的な問題を探りたいと思っていたからでもあり、また薬を飲むことに抵抗があったからでもあります。

まぁそれはさておき、こういったクリニックに行くと大抵「生活リズムを正しましょう」とか「軽い運動を心がけましょう」とか言われます。
医者でなくても、家族や友人がメンタル不調に陥った時、こういったアドバイスをすることは少なくないのではないでしょうか。

確かにこれらのアドバイスは間違っていないと思いますし、良かれと思って発せられたものだということも分かります。
ただ僕の感覚で言うと、本当に気持ちが沈んでいる時は、こういったアドバイスもストレスになります

なぜなら生活リズムを正す気にも、運動する気にもなれないからです。
とりあえず横になって休んでいたい。
それだけです。

抑うつ状態になっていると、しょっちゅう自己否定の無限ループにハマってしまいます
なのでこういうアドバイスをされると、「生活リズムを正せない自分はダメだ」「運動する気になれない自分はダメだ」となってしまいます。
僕が義務感からではなく、自然に心から生活を改善しようと思えたのは、仕事を休んで9か月くらい経った後のことです。

おわりに

今やネット上では、メンタル不調経験者たちの様々な書き込みを見ることができます。
その中には

「皆んな辛いのは同じなんだから、心が弱い自分が悪かった。今は薬を飲み自分に鞭を打って、我慢しながらもなんとか仕事を続けられている。仕事を休むのは甘えで、ある程度動けるようになったらすぐ復職すべき」

というものもあります。
その人にとって、この書き込みをした時点では、これが真実だったんでしょう。
メンタル不調との向き合い方は人それぞれなので、こういう考え方があっても別に間違いではないと思います。

でも僕が恐れるのは、こういった書き込み自体が他のメンタル不調者を傷つける可能性があることです。
書き込みを直接見た時に傷つく場合もあれば、これを見た周りの人から

「こういうことを書いているメンタル不調経験者がいた。だからお前が休むのも甘えだ。もっと自分に鞭を打って頑張れ」

という言葉を掛けられて傷つく場合もあるでしょう。

そしてこのような書き込みをする人自身、服薬による対症療法と我慢のループに陥り、常に爆弾を抱えたような状態で日々を過ごしているのではないでしょうか。

このように「一度メンタルを崩すと、それ以降はひたすら我慢と気合と精神力の人生」のような状態になってしまうのは、社会全体が余裕を失っているからではないでしょうか。
余裕があれば、同僚が仕事を休むことになっても「あの人だけずるい」「仕事のしわ寄せが来て迷惑」とは思わないですよね。
抑うつ状態になっていなくても、こう思ってしまうこと自体、不健康な精神状態に陥りつつあるということだと思います。

イライラでも嫉妬でも、心に何か引っ掛かる時に「何で自分は心地が悪いんだろう」と自分の内面に立ち返るのは、誰にとっても大切だと感じる今日この頃です。

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